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東京高等裁判所 平成2年(う)1105号 判決 1991年3月12日

主文

本件控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数中一三〇日を原判決の刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人水野正晴が提出した控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これを引用する。

控訴趣意第一について

所論は、要するに、警察官は、正当な法律上の根拠に基づかないで被告人に両手錠をかけ捜査車両に乗せ強制的に警察署まで連行し、本人の承諾なしに約四時間三〇分もの間同署に不法に監禁し、その後さらに被告人を無理矢理済生会病院に連れて行き強制採尿したばかりか、その間被告人に対し、特別公務員職権濫用罪に該当するような暴行や偽計を加えているのであって、かかる一連の過程で得られた証拠は、違法不当な行為によって得られたものとして犯罪事実を認定するために用いることが許されないというべきであるのに、原判決が、その証拠能力を肯認し、それらの証拠に基づき安易かつ一方的に被告人を有罪としたのは、判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反であるというのである。

なお、被告人の控訴申立書には、原判決が警察官による暴行、偽計の事実を認めていない点が不服で控訴した旨の記載がある。

そこで、記録を調査し、当審における事実取調べの結果を合わせて検討すると、本件について証拠を排除しなければならないような違法、不当な捜査が行われたとの証跡はなく、原判決が、被告人から採取した尿およびそれを検査した結果の通知書、その他関係各証拠の証拠能力を肯認したのは正当というべきであるから、これらの各証拠に基づき被告人を有罪とした原判決に所論のいうような誤りはない。

以下、その理由の要旨について述べることとする。

一  原審および当審において取り調べた各証拠によれば、被告人が警察官の取調べを受けるに至るまでの経緯ならびにその後の取調経過、取調状況等は概ねつぎのとおりであったと認められる。

(1)  平成元年五月一六日午後八時三〇分過ぎころ、静岡市曲金地内の軍神社付近住民から、静岡南警察署に、三時間くらい前から神社の境内でライター(点燈したもの)をぐるぐる回したり石を拾ったりしている者がいて気味が悪いという通報があった。

(2)  そこで、当直をしていた巡査部長伊藤久男、同黒山某、巡査菊地邦広の三名が制服姿で臨場し、右伊藤が通報者から事情を聴取し、他の二名が境内に入っていったところ、社務所の辺に膝を抱えるようにして若い男、すなわち被告人が座っており、菊地巡査が「おい」と声を掛けながら接近していくと、なにか言って立ち上がりながら小石を投げつけて逃げ出し、社務所の玄関のところで「助けてくれ。殺される。」などと叫びながらアルミサッシ戸のガラスを次々と叩いたため、ガラスが二枚ひび割れし、三枚目のガラスが拳で突き破られたが、その際に被告人も右手首に怪我をした。追い付いた二名の警察官がガラスに突き込まれていた被告人の手を抜き出したが、被告人がなおも逃げようとして抵抗したため、三人がもつれあって地上に倒れ、そこに前記伊藤が駆け付け全員で被告人を取り押さえた。しかし、被告人は、「殺される」とか「天満宮が……」などと意味が解らない言葉を連発し、警察官を振り払おうと足で蹴ったりして暴れるので、警察官らは、被告人が警察官職務執行法三条一項一号にいう精神錯乱者に該当し放置すれば自傷他害の虞れがあって緊急に保護を要するものと認め、とりあえず警察署において保護するため連れていこうとしたが、静かにしないと手錠を掛ける旨警告しても暴れるのを止めないため、菊地巡査が片手錠を掛け、三人がかりで被告人を捜査車両の後部座席に乗せ、なおも暴れる気配がみえたのでやむなく両手に前手錠を掛けた。その後一時おとなしくなったが、途中でまた暴れ出し、「天満宮」とか「助けてくれ」などと叫んだり、運転席の背もたれを足で蹴ったりしたので、一時は自動車の運転に支障を来したこともあったが、午後九時ころには静岡南警察署に到着した。

(3)  警察官らは、依然として抵抗し続ける被告人を車から下ろし一階ロビーの椅子に座らせて手錠を外し、保護事件担当の防犯課に所属する山田壮巡査部長にその後の処理を引き継いだが、そのころになると被告人も暴れることなく静かに椅子に座っていた。ところが、たまたま被告人がポケットから何か取り出し捨てようとしたのを右山田が現認し調べたところ、それが注射針であることが発覚し、被告人の青白い顔色やわけのわからないことで暴れたりした様子とか、被告人の右腕に真新しい注射痕があったこと、さらに、右山田が「覚せい剤をまたやっているのか。」と尋ねたのに対し、「二、三日前に注射を打った。」と答え覚せい剤を使用した事実を自認する供述をしたこと等から、右山田は、被告人に覚せい剤取締法違反の容疑があるものと認め、既に帰宅していた防犯課長四ノ宮昭夫、防犯係長池谷富貴にその旨連絡するとともに、被告人を三階の補導室に連れていった。

(4)  前記山田は補導室において被告人に尿の任意提出を促したところ、被告人はこれに応じる姿勢を示し手洗所に立ったが、「出ない」といって排尿せず、山田が手洗所でさらに説得を続けている間に、池谷係長が出署し、同人も被告人に排尿させるべく説得したが、やはり出ないというので一旦補導室に戻した。そのころ被告人は、小声でぶつぶつ言ったり、涙を流したり、笑ったりして、一見して異常な状態を示していた。右池谷は、その後も四ノ宮課長の指示をうけ被告人に尿を出すよう説得を続け、その間、被告人は二回ぐらい手洗所に行ったが出ないといってこれに応じなかったので、やむなく強制採尿の手続をとることにし、前記伊藤が被告人の保護時の状況を記載した捜査報告書(保護カードの写し添付)を、司法巡査平野竹彦が被告人の腕の注射痕の写真撮影報告書を、前記山田が被告人につき覚せい剤取締法違反容疑があると認めるべき事由を記載した捜査報告書を、前記池谷が強制採尿を必要とする理由を記載した捜査報告書をそれぞれ作成し、かつ、静岡済生会病院に連絡して採尿処置に応じられる旨の回答を得たうえ、同月一七日午前一時ころ、前記各資料を添えて静岡地方裁判所に強制採尿のための捜索差押許可状の発付を請求した。なお、池谷が作成した前記捜査報告書中には、採尿にあたっては、医師をして医学的に相当な方法で行うべきものと思料する旨の記載がある。

(5)  右請求を受けた静岡地方裁判所裁判官は、請求どおりの捜索差押許可状を発付し、夜間でも執行することができる旨を欄外に付記して警察官に交付したが、右捜索差押許可状には、採尿にあたり医師をして医学的に相当と認められる方法で行わしめなければならない旨の条件が記載されていなかった。この種の捜索差押許可状には上記の条件を記載することが判例上不可欠とされており、静岡地裁本庁では通常右条件を記載した別紙を捜索差押許可状に添付契印をするという取扱がされているのに、本件では右別紙の添付がなく、別紙として捜索差押許可状請求書の正本が添付されていた。

(6)  右令状を受け取った前記池谷は、これに添付されている別紙がいつものような採尿条件を記載した紙葉でなく捜索差押許可状請求書の正本であることに気付かないまま、適式な令状であると思って補導室にいた被告人にこれを示し、病院で採尿するから同行するよう告げたところ、被告人は床にうずくまり動こうとしなかったので、警察官が四名で被告人の身体を持ちあげて一階出口まで運び、手足を動かして暴れる被告人を捜査車両に乗せ、車で三、四分程の距離にある静岡済生会病院に連れていったが、車から降りた後も被告人はその辺にある物にしがみついて処置室に入るのを拒んだため、警察官がその手を引き離して処置室に入れ、そこで医師や看護婦らからこもごも「自分で出したほうがいいよ」とすすめられし瓶を渡されたりしたが、被告人はそれも拒否したので、やむなく警察官が手足を持って診察台に寝かそうとすると、「助けてくれ」などと喚き、起き上がろうとして手足をばたつかせ、診察台が揺れ動くほど暴れた。そこで、遅れて到着した一名も加わって警察官が五人がかりで被告人を診察台上に動かないように押さえたうえ、医師が採尿を試みたがうまくいかなかったため、医師の指示で看護婦が代わってこれを行い、ようやく導尿管による採尿を了えた。採取した尿を試験した結果、覚せい剤の反応を示したため、被告人はその場で覚せい剤取締法違反容疑により緊急逮捕された。

二  これに対し、被告人は、警察官において軍神社のことについて話を聞くためと称して被告人を警察署に連れていきながら、着いた後なんらそのことを聞こうとする態度に出ず、また、警察官が補導室でその日のうちに帰すなどと約束しながら結局帰さなかったのは、もともと逮捕監禁し覚せい剤事件で被告人を取調べる目的のもとに被告人に対し偽計を用いたものであると抗弁するが、警察署に到着して間もなく被告人に覚せい剤取締法違反の容疑が生じ、軍神社における異常行動の原因も覚せい剤の作用によると考えられたところから、まずもってこの点を解明しようとした警察官の措置はそれなりに理解できるところであり、また、被告人が任意に尿の提出をし、その検査結果によってはその日のうちに帰宅できた可能性もあったのであるから、警察官が偽計を用いて被告人の身柄を抑留したというのはあたらない。さらに、被告人は、病院で警察官に手首や胸部等を殴打されたり、柔道の締め技をされるなどして暴行されたともいうが、警察官らの供述するところや医師山本滋隆作成の陳述書の記載によれば、警察官らは全力で暴れる被告人を必死になって押さえようとしただけで、被告人のいうような暴行を行った事実などないことが認められるから、これに反する被告人の供述は採用することができない。

三  以上のような事実関係に徴するならば、被告人の軍神社における挙動は、精神錯乱者を疑わせるに足りるものであり、現に被告人が警察官の面前でガラス戸に手を突き入れて負傷しているところからしても、自傷他害の虞れがあると客観的に認めうる状況にあったということができるから、前記警察官らが被告人を警察官職務執行法三条にいう保護を要する精神錯乱者にあたると判断し、被告人を保護する目的で警察署に同行しようとしたのは相当であり、右同行に際し、前記のような手錠使用を含む実力による制圧手段をとったとしても、同行されることに対する被告人の抵抗の程度、態様が激しかったことを考えれば、前記目的を達成するためにやむを得ない相当性の範囲内のものであったと認められる。しかして、警察署に到着し、被告人に覚せい剤使用の嫌疑が生じた後も、被告人の表情や言動に異常なところが認められたことからすれば、なお保護の必要性が継続していたということができるから、その間、被告人を補導室内に滞留させた措置をもって違法な監禁行為ということもできない。

つぎに、被告人を病院に連行し、医師をして導尿管で採尿させるまでの一連の行為は、本件捜索差押許可状の執行として行われたものであるところ、まず、右令状により被告人を病院まで強制的に連行することの適否について考えると、およそ、強制採尿は、その行為の性質上、一定の衛生的な設備、器具を備え、採尿される者の羞恥感情等に配慮した環境において、採尿に関する専門的な知識、経験を有する者の手によって行われるべきものであり、採尿対象者が採尿に適した場所に現在していない場合に、同人が然るべき採尿場所に任意に赴こうとしないときには、その者をその意に反してもその者を採尿場所まで連行しなければ採尿の目的を迅速、適正に達成することが困難であるから、本件捜索差押許可状が強制的な採尿を許すものである以上、執行に際し必要があれば採尿対象者を採尿に適した場所まで強制的に連行することを許す趣旨をも当然に含むものと解するのが相当である。してみると、裁判所が本件令状を発付した時点において被告人に逮捕が可能な程度の覚せい剤取締法違反の嫌疑が認められる本件において、警察官が、本件捜索差押令状を執行するため被告人を警察署から車で三、四分の距離にある静岡済生会病院まで強制的に連行したのは適法というべきであるばかりでなく、さらに、その連行の際にとられた手段、方法、並びに連行後被告人を診察台に乗せ動かないように押さえるという一連の行為に際してとられた手段、方法も、被告人の激しい抵抗を排除し、強制採尿の目的を達成するためにやむを得ない相当性の範囲内にとどまるものと認められるから、本件強制採尿に際し警察官らが被告人に対して行った所為が違法、不当であるということはできない。

なお、本件捜索差押許可状には、その執行方法を「医師により医学的に相当な方法で行わしめること」に限定することをもって条件とする旨の記載がなく(その理由は必ずしも明白でないが、関係証拠を総合して推測すると、採尿条件を記載した別紙を添付すべきところ、誤って別紙として捜索差押許可状の請求書正本の添付をしてしまった可能性が強い。)、その点において瑕疵あるものといわなければならないが、前記のとおり、警察官は当初から医師の手により被告人から採尿することを予定し、そのような条件のもとにおける強制採尿の許可を求めたものであり、本件令状もまた、右の採尿条件を当然の前提として強制採尿を許可する旨の裁判をしたことが認められるばかりでなく、実際の採尿も近くの病院で医師の手によって行われていることからすれば、本件の強制採尿が最高裁判例の要請するところを実質的に満たしていることが明らかであるから、本件捜索差押許可状に上記のような瑕疵があっても、採尿場所に強制連行できるという点をも含め、その効力に影響を来すことがないというべきであり、それによって得られた尿(その検査結果をも含む。)の証拠能力にも疑問をさしはさむ余地はないというべきである。

また、所論は、被告人に対する身柄拘束が違法であることを前提に、被告人の自白を証拠から排除すべきであるともいうけれども、その前提自体が誤っていることは既に述べたところから明らかであるから、被告人の自白に証拠能力がないということはできない。論旨は理由がない。

控訴趣意第二について

所論は、要するに、本件起訴状には、犯行の日時、場所及び犯行の方法等が具体的に特定して記載されてなく、一方、原判決は、なんの証拠もないのに日時等を認定しているが、これは、刑訴法二五六条に反する違法なものというべきであるというのである。

しかしながら、記録によれば、本件の起訴状には、本件犯行の日として「平成元年五月一六日ころ」、犯行場所として「静岡市曲金二丁目七番三三号法蔵寺境内」、犯行方法として「覚せい剤水溶液を身体に注射して使用した」旨、具体的に犯罪事実を特定して記載されていることが明らかであるから、これが訴因の明示を欠いた違法なものということはできないし、原判決は、被告人の捜査官に対する各供述調書その他の関係証拠に基づき、起訴状記載のとおりの日時、場所、方法による具体的に特定された覚せい剤使用の犯罪事実を適法に認定していることが認められるから、原判決に所論のいうような違法はない。論旨は理由がない。

控訴趣意第三、第四について

所論は、量刑不当の主張である。

そこで、原審及び当審における事実取調べの結果に基づき検討すると、本件は被告人が覚せい剤水溶液を自己の身体に注射して使用したという事案であって、被告人は、少年時代から覚せい剤の使用を始め、そのため少年院に送致されたこともあるばかりでなく、成人後の昭和六二年四月にも覚せい剤取締法違反罪により懲役一年の実刑に処せられていて、本件はそれと累犯の関係にたっていること、そのほかにも毒物及び劇物取締法違反罪による罰金前科が二犯あること、前刑出所後に甲野会乙山組丙川総業の事務所番をするなど生活状態が芳しくないこと、本件の覚せい剤使用について十分反省しているようには認められないことなどの点に鑑みると、被告人の責任を軽く考えることは許されず、被告人を懲役一年四月(未決勾留日数三二〇日算入)に処した原判決の量刑は、その刑期及び未決勾留算入日数のいずれをとってみても、まことにやむを得ないところであって、これが重過ぎて不当であるとは認められない。論旨は理由がない。

よって、刑訴法三九六条、刑法二一条、刑訴法一八一条一項ただし書により、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 栗原平八郎 裁判官 泉山禎治 神作良二)

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